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前橋地方裁判所 昭和37年(ワ)85号 判決

原告 高橋正示

被告 亡小泉小太郎訴訟承継人 小泉健一

主文

一、被告は原告に対し、金一、二八六、二八〇円および右内金一、二八一、二八〇円に対して昭和三六年一〇月一日から、右内金五、〇〇〇円に対して同月六日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四、本判決中原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

(請求の趣旨)

一  被告は原告に対し、金一、九八二、一五〇円および右内金七八、七五〇円に対して昭和三五年六月四日から、右内金一一二、四〇〇円に対して昭和三六年七月九日から、右内金一、七八五、〇〇〇円に対して同年一〇月一日から、右内金六、〇〇〇円に対して同月六日から、各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

(請求の趣旨に対する答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  本位的請求原因(民法七一七条一項)

(一) 原告は、昭和二九年一一月から、肩書地所在の早川旧河川外池二面を養魚場(以下「本件養魚場」という)とし、早川の川水を引いて養鯉殖産業を営んでいた。

(二) 被告の被相続人である亡小泉小太郎(以下「被告先代」という)は、昭和三五年頃から、肩書地においてメツキ工場(以下「本件工場」という)を所有し、かつ占有して、メツキ加工業を営んでいた。

被告先代は昭和四四年五月二〇日に死亡し、被告がこれを相続した。

(三) 被告先代は、メツキ加工から生ずる有毒な青酸を含む廃液を、本件工場の施設の一部たる廃液ろ過装置(以下「本件ろ過装置」という)を経て、付近を貫流する佐波新田用水世良田配水路(以下「配水路」という)へ放流していたものであるが、本件ろ過装置は廃液の毒性を除去するに十分な性能を有していなかつた。すなわち、土地の工作物たる本件ろ過装置には、その設置又は保存に瑕疵があつた。

(四) 右配水路は、廃液放流地点から約三・五キロメートル下流の地点で早川をまたぐ樋を通り、新田郡尾島町の灌漑に利用されているが、右樋の手前に、配水路から早川へ排水する堰(いわゆる角落堰)があり、同地点より約一キロメートル早川を下つたところに本件養魚場がある。

(五) 右配水路は、佐波新田用水土地改良区の管理にかかり、毎年五月中旬より九月中旬までの間水を流すことに定められていた。また右角落堰は通常はほとんど開かれず、ときどき水量の調節等のためにこれを開いて、配水路の水が早川に排水されることがあつた。

昭和三五年六月四日、昭和三六年七月九日および同年九月末日には、配水路には水が流れ、右角落堰は開かれていて、配水路の水は早川に流入した。従つて、本件工場から排出された廃液が、本件養魚場に流れ込んだ。ことに昭和三六年九月末日の場合は、同月二〇日頃より配水路に水が取入れられず水が流れていなかつたので、配水路内には本件工場の廃液が流れ去ることなく溜つていたところ、世良田地区の水路管理者が配水路の上流にある粕川の第一八号堰をおろして配水路に水を取入れたため、溜つていた多量の廃液が一時に押し流されたのである。

(六) 以上のとおり配水路の流水が早川に流入した昭和三五年六月四日、昭和三六年七月九日および同年一〇月一日の三回にわたつて、本件工場より排出された廃液によつて、原告の養殖中の鯉が斃死し、原告は金一、九八二、一五〇円に相当する損害を蒙つた。その詳細は次のとおりである。

(1)  鯉の斃死による損害

表〈省略〉

(2)  取片付費用による損害

原告は昭和三六年一〇月六日に、同月一日に斃死した鯉を取片付けるために人夫を雇い、その手間代として金六、〇〇〇円を支払つた。

(七) よつて、原告は被告に対し、請求の趣旨第一項記載のとおりの各損害金およびこれに対し、各損害発生の日より各支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  予備的請求原因(民法七〇九条)

仮に本件ろ過装置の設置又は保存に瑕疵がないとしても、

(一) 被告先代が有毒な青酸を含む廃液を配水路に放流した行為には違法性がある。

(二) 被告先代は、右廃液の毒性を除去したうえで放流しなければ、何人かに損害が生ずることを認識していたか、又は認識し得べきであつたのに、故意又は過失により、毒性を除去することなく漫然とこれを放出していた。

(請求原因に対する答弁)

一  本位的請求原因に対して

(一) 同(一)の事実は否認する。本件養魚場は組合によつて経営されていたものであつて、原告個人の経営ではない。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の事実中、被告先代がメツキ加工から生ずる廃液を、本件工場の施設の一部たる本件ろ過装置を経て、付近を貫流する配水路へ放流していたことは認めるが、その余の点は否認する。

(四) 同(四)の事実中、配水路の水が早川へ排水されるとの点を否認し、その余の事実は認める。配水路は早川に至る途中で鴃の尾川と合流し、境町用水(境町公園の養魚池に流入する)を分岐させたうえで、その残りが尾島町内耕地の灌漑用水となるのであつて、本件工場の廃液は本件養魚場に流入するものではない。

(五) 同(五)の事実は否認する。仮に配水路の水が早川に流入したとしても、本件工場から放流される廃液はもともと微量であつて、それが前記のように途中で分合流する配水路を流れて大きな早川に注ぎ、四キロメートル余も距たつた本件養魚場に至つたところで無視すべき極微量でしかない。

(六) 同(六)の事実は否認する。原告の養殖中の鯉が斃死したとしても、それが本件工場からの廃液の放出と因果関係のないことは、前記境町公園の養魚池では原告主張の日時に魚が斃死しなかつたことからも明らかである。また、原告の飼養上の過失、他のメツキ工場の廃液の流入、農薬の流入等の他の原因によるものとも考えられる。

二  予備的請求原因事実はすべて否認する。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件養魚場の経営主体

成立に争いない甲第二三号証、証人栗山仲治、同大野道衛の各証言および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告が昭和三〇年頃訴外大野道衛と共同出資して「早川養魚組合」の名称のもとに肩書住所地に早川の水を引いて養鯉業を始めたこと、その際大野道衛が同組合の代表者となつて同人の名義で漁業権の免許を受けたこと、昭和三六年四月以降同人が直接経営に関与することをやめ本件養魚場の土地を原告に貸すだけとなつて、原告が右組合の名称はそのままにして単独で本件養魚場を経営するようになつたことおよび原告が単独で本訴請求をなすについて原告と大野道衛との間に合意が成立していることが認められる。

右事実によれば、原告主張の三回にわたる鯉斃死の被害のうち、昭和三六年七月九日および同年一〇月一日の分については原告が単独で損害賠償請求をなし得ることは当然であるし、昭和三五年六月四日の分についても、その当時発生した損害賠償債権が右組合に帰属したにせよ、その後同組合が実質的に原告の個人企業に変質した以上は、右債権も実質的に原告個人に帰属しているのであるから、原告が単独で損害賠償請求をなし得ると考えるのが相当である。

二  本件工場の経営主体

被告先代が昭和三五年頃から肩書住所地において本件工場を所有しかつ占有してメツキ加工業を営んでいたことおよび被告先代が昭和四四年五月二〇日に死亡し被告がこれを相続したことは、当事者間に争いがない。

三  昭和三六年一〇月一日の鯉斃死

(一)  土地工作物の瑕疵

被告先代がメツキ加工から生ずる廃液を、本件工場の施設の一部たる本件ろ過装置を経て、付近を貫流する配水路へ放流していたことは当事者間に争いのないところであるが、証人田中栄司の証言(第一、二回)により真正に成立したものと認められる甲第一号証、成立に争いない甲第二四号証の一、二、成立に争いない乙第三号証によつて真正に成立したものと認められる甲第二五号証の三ないし六、成立に争いない乙第二、三号証および証人田中栄司(第一、二回)、同桜井正毅、同山村晃の各証言によれば、本件ろ過装置を経て配水路に放流される際の廃液にはシアン化水素が含まれているが、シアン化水素は水中では次のように解離している。

HCN⇔H++CN-

そして右廃液にはシアンイオン(CN- )が一一PPM以上含まれているのであるが、実験報告によれば水中にシアン化物が一〇・〇PPM存在するときにわずか一・五時間で鯉が全部死滅すること、また水中のシアン化物はその水がPH八のときは無害であるがPH六以下のときは有害となるところ、右廃液はPH六前後であることが認められる。

右の事実によれば、本件工場のメツキ加工によつて生じた廃液は、本件ろ過装置によつてろ過された後といえども、生物にとつて極めて有害危険なものであると断ぜざるを得ない。

検証の結果(第二回)によれば、本件ろ過装置はろ過剤重亜硫酸ソーダを滴加して廃液をろ過する装置であることが認められるが、本件ろ過装置の使用目的が装置の性質上、有毒な廃液をろ過して無害としたうえで公共用水に放流することにあると考えるべきである以上は、前認定のように、結局極めて有毒なまま廃液を放流することにならざるを得ない本件ろ過装置にはその設置又は保存に瑕疵があると認めざるを得ない。もつとも証人桜井正毅の証言によれば、群馬県工業試験場の技師である右桜井が本件ろ過装置の設置を指導し、完全な設備と認定したことおよび当時県内メツキ工場の廃液の平均シアンイオン濃度は約三〇PPMであつたことが認められるが、それはむしろ行政指導が妥当でなかつたというべきであつて、このことによつて本件ろ過装置に瑕疵があるとの前記判断が左右されるものではない。

そして検証の結果(第二回)によれば、本件ろ過装置が民法七一七条一項にいう「土地ノ工作物」にあたることは疑いがない。

(二)  因果関係

(1)  因果関係の立証責任

不法行為に基く損害賠償請求訴訟においては、侵害行為と損害との間の因果関係を立証する責任は原則として原告(被害者)側にある。しかしながら、いわゆる公害訴訟、とりわけ河川汚濁や大気汚染による損害の賠償を請求する訴訟においては、多くの場合、被害が適法な固有の目的をもつた行為によつて副次的に河水、大気等の媒体を経由して発生したものであり、しかも自然現象その他の複雑な要因が関係するために、技術的にも経済的にも被害者個人が因果関係を立証することは容易でない。一方、被告(加害者)側にとつては技術的にも経済的にも被害者よりはるかに原因調査が容易であることが多いし、そうでない場合にも被告企業が何らかの物質ないしエネルギーを一般社会に放散させている以上は、加害者側でそれが無害であるとの立証をなさない限り責任を免れないと解するのが社会通念に適合するところであると考えられる。そこで、右のような訴訟においては、一般の不法行為訴訟と異なり、因果関係に関する立証責任を転換し、被告側に因果関係不存在の立証責任を負わせることも考え得るところであるが、一般に因果関係不存在の立証は極めて困難であるから、右の考え方は逆に被告に対して苛酷に過ぎるきらいがある。結局、最も妥当な解決方法は、原告としては侵害行為と損害との間に因果関係が存在する相当程度の可能性があることを立証することをもつて足り、被告がこれに対する反証をあげえた場合にのみ因果関係を否定し得るとすることである、と当裁判所は考える。

本件訴訟は、まさに前記の類型の訴訟に含まれるものであるから、原告はまず因果関係存在の相当程度の可能性を立証すれば、因果関係に関する立証責任を果たしたこととなる。

(2)  因果関係存在に関する積極的事実

〈1〉 本件工場から、有毒なシアン化物を含む廃液が付近を貫流する配水路へ放流されていたことは前記(一)に認定したとおりである。なお、検証の結果(第一回)によれば、配水路へ廃液が放流される地点は佐波郡境町大字上武土地内の「仲橋」から東へ約一四メートル離れた地点であるが、同地点と本件工場との間は約三五〇メートルの距離があり、右廃液はその間二インチ口径の塩化ビニール製パイプを経由して来ることが認められる。

〈2〉 検証の結果(第一、二回)によれば、配水路は右放流地点から境町地内を東南方へ向かい、約一、七〇〇メートル下流で北方から流れて来る鴃の尾川と合流し、右合流地点から約一五〇メートル下流に境町用水に水を取入れる取入口があり、そこから配水路のやや下流にある堰を閉じた場合に配水路の水が境町用水に流入すること、配水路は右取入口からさらに東方へ向かい約一、九〇〇メートル下流で北方から流れて来る早川に出合うこと、昭和三六年までは配水路はかけ樋によつて早川をまたいで早川東岸の新田郡尾島町地内へ流れていたが、検証時にはサイホンによつて早川の川底を流れて尾島町地内へ流れ込むこと、配水路には右地点の手前に早川へ排水するための堰が二ケ所あり、西側(上流)の堰は幅二・九メートルの水門で幅各一・二メートルの堰板をはめ込むようになつており、この堰から流れ落ちた水は排水路を東へ約一五〇メートル流れて、次に述べる堰から流れ落ちた水と合流し、東側(下流)の堰は前記サイホン装置から西方約二六メートルの地点にあり、水門に幅一・一メートルの堰板をはめ込むようになつており、この堰から流れ落ちた水は排水路を南へ約二六メートル流れて、前記上流の堰から流れ落ちた水と合流し、さらに東へ約三〇メートル流れて早川に流入すること、早川の右流入地点から南方へ約一、〇〇〇メートル下流(「館橋」から約二〇〇メートル下流)の早川西岸に本件養魚場への河水取入口があつたこと(ただし、検証時には早川が西側へ拡幅されたため流れの中央辺が旧取入口にあたる)が認められる。

〈3〉 検証の結果(第一回)によれば、配水路の前記廃液放流地点から西北方へ約一、二〇〇メートルの上流において配水路は南流する粕川から分岐するのであるが、同地点には配水路へ水を取入れる水門とそのやや下流で粕川の水を塞止める第一八号堰とがあり、前者の水門を開き後者の水門を閉じた場合に、粕川の水が配水路へ流入することが認められる。証人松島松司の証言によれば、佐波新田用水世良田配水路は農業用水路であつて佐波新田用水土地改良区組合が管理しているものであるが、昭和三六年九月上旬頃洪水のため右第一八号堰に砂が入り配水路に水が流入しなくなつたため、耕作者からの要請によつて右組合の理事である松島松司が同月中旬頃右第一八号堰に赴き、その水門を閉じて粕川の水位を上げ、その結果希望する水量の半分位が配水路へ流入したことが認められる。そして同年一〇月一日前後において、配水路に水が滞留せず水量は少いながらも流下していたことは、証人森田朝記、同関口二良、同高橋清一の各証言および原告本人尋問の結果(第一回)によつて、これを窺うことができる。

〈4〉 証人松島松司、同中島安雄の各証言によれば、前記〈2〉記載の境町用水へ水を取入れるための堰は境町消防団が管理しているのであるが、松島松司は前記〈3〉のように第一八号堰の水門を閉じて配水路に水を取入れた際に、境町消防署に依頼して右境町用水へ配水路の水が流入しないようにするために同所の堰を開放して貰つたことが認められる。証人中島安雄の証言中右堰を開放するのは普通毎年六月二五日頃から七月七日頃まででその他の時期には堰を閉じておく旨の供述および証人橋本武次の証言もいまだ前認定を覆えすに足りない。

〈5〉 証人関口二良、同高橋清一の各証言によれば、前記〈2〉記載の配水路から早川へ排水する二ケ所の堰も佐波新田用水土地改良区組合がこれを管理しているものであるが、昭和三六年一〇月一日に原告の長男である高橋清一および右組合の理事である関口二良がはずされていた堰板を右各堰にはめ込んで、配水路の水が早川へ流入しないようにしたことが認められる。右事実によれば、当時配水路の水は早川へ排水されていたものと認められる。

〈6〉 甲第一号証、証人田中栄司(第一、二回)、同高橋清一の各証言および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は群馬県水産試験場調査係田中栄司に対し、(イ)昭和三六年一〇月一日に本件養魚場の注水口で採取した水および(ロ)同日又は翌二日に配水路から早川へ排水する前記の堰付近で採取した水を渡して水質の分析を依頼し、右田中もまた(ハ)同月二日に本件工場の廃液を独自に採取したこと、同人は同月三日午後一時頃に右の各採取した水の水質を硫シアン化法をもつて分析したこと、その結果、(イ)はPH六・八、シアンイオン濃度〇・五PPM、(ロ)はPH六・七、シアンイオン濃度五・五PPMであつたこと((ハ)については前記(一)、同人が同月四日に右(イ)、(ロ)、(ハ)の各採取水を入れた水槽に各三尾位の鯉を放つたところ、(イ)においては四時間経過しても鯉は死亡せず(証人田中栄司の第二回証言中の右実験に二四時間位かけたとの供述にそれ自体あいまいな証言であり、同証人の第一回証言に照らしても措信し難い)、(ロ)においては五〇分後に鯉が死亡し、(ハ)においては一五ないし二〇分後に鯉が死亡したことが認められる。

しかしながら、証人田中栄司の証言(第二回)および鑑定人滝島常雄の鑑定の結果(第二回)によれば、シアンイオンは極めて変化しやすいものであるのに、右田中は前記各採取水についてその分解を防止する処置を全くとらなかつたこと、採水時に直ちに分析したとすれば前記(イ)の採取水のシアンイオン濃度は〇・五PPMから五・〇PPMの範囲内であると推定し得ることが認められる。

また、甲第二五号証の四によれば、シアンイオン濃度〇・五PPMの水中でカジカが九六時間経過しても死ななかつたという実験報告がある一方で、シアンイオン濃度〇・〇五PPMの水中で鱒が一二〇時間後に全部死滅し、同じく一・〇PPMの水中で鱒が二〇分後に全部死滅したという実験報告のあることが認められる。

甲第二四号証の一、二および証人山村晃の証言によれば群馬県警察本部刑事部鑑識課の大竹良子および山村晃が、昭和三六年一〇月二日に採取された本件養魚場の水および本件工場の廃液を分析したところ、後者には青酸イオン(シアンイオン)およびクロム酸イオンの含有が認められ、前者には青酸イオンの含有が僅かに認められたこと、一般に河水中に青酸イオンが含有されているとはいえないことが認められる。

前記認定した各事実を総合すれば、昭和三六年一〇月一日当時、本件養魚場の池水に多量の鯉を斃死せしめ得るだけの濃度のシアンイオンが含有されていた可能性は極めて高いものと考えられる。

〈7〉 証人森田朝記の証言および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、太田警察署世良田駐在所の巡査である森田朝記は昭和三六年一〇月一日午前六時頃、原告の妻から池の鯉が大量に死んだとの届出を受け、現場に赴いたものであるが、午前九時頃、本件養魚場の上流(前記〈2〉記載の「館橋」よりやや上流)にある「高橋」という土橋に立つて早川を見下ろしていると魚がよどみに沈んだり、上流から流れて来て橋桁のごみにつかえたりしたこと、同日午後二時頃、早川に多数の人が魚をとりに入つていたこと、そのあと右森田と原告が配水路をさかのぼつて鴃の尾川と配水路とが合流する地点と本件工場からの廃液が配水路に放流される地点とのほぼ中間にある新田橋付近まで行くと、市村友吉という者が浮いて流れて来たといつてたらいの中に入れた鯉を見せてくれたが、その鯉は口をパクパクさせていたこと、右森田が早川の配水路からの排水地点より上流を捜査しなかつたのは、そこで魚を釣つている人たちが別に変つたことはないといつていたからであること、原告がさらに配水路をさかのぼつて本件工場からの廃液の放流地点付近まで行くと、坂本某という者がここから上流の魚は浮いて流れて来ないがここから下流ではときどきそういうことがあるといつていたこと、原告が鴃の尾川を上流にさかのぼつていくと、友人の阿部という者が鴃の尾川では魚が浮かび上がつたことはないといつていたことが認められる。

〈8〉 鑑定人滝島常雄の鑑定の結果(第一回)によれば、同鑑定人が昭和四一年六月一五日に、本件工場からの廃液放流地点より上流の配水路の水、配水路と合流する以前の鴃の尾川の水、配水路からの排水地点より上流の早川の水をそれぞれ採取して分析したところそのいずれにもシアンイオンは検出されなかつたが、同日採取した廃液放流後の配水路の水には〇・一六PPMのシアンイオンが含有されていたことが認められる。

(3)  因果関係存在に関する消極的事実

〈1〉 甲第二四号号証の一、二および証人山村晃の証言によれば、前記(2) の〈6〉のように右山村らが水質分析をなした際に、同じ日に本件養魚場で採取した斃死鯉四尾に劇毒物が含有されているか否かを検査したが、右鯉から青酸イオン(シアンイオン)は検出されなかつたこと、しかしまた、クロム酸イオン、パラチオン、アンチモン、水銀、砒素等の他の毒物も検出されなかつたこと、魚がシアンのために死んだ場合でもその魚からシアンイオンを検出するのは困難なことが多いことが認められ、証人田中栄司の証言(第一回)によれば、田中栄司も前記(2) の〈6〉のように水質分析をなした際、右の困難性から斃死鯉の魚体の検査はなさなかつたことが認められる。

従つて、昭和三六年一〇月一日に本件養魚場で多量の鯉が弊死したこと(この点は後期(三)の(1) )の原因物質が、シアンイオン(又はシアン化水素)であることは、斃死した鯉自体によつては確定することができない。

〈2〉 配水路が本件工場からの廃液放流地点より下流で鴃の尾川と合流することは、前記(2) の〈2〉で認定したとおりであるが、検証の結果(第二回)によれば、同所に至つて配水路の水量が急激に増加することが認められる。

〈3〉 被告は、境町公園の養魚池には前記境町用水取入口から配水路の水が取入れられているにもかかわらず、昭和三六年一〇月一日当時に右養魚池の魚が斃死した事実がないと主張する。

なるほど証人中島安雄、同橋本武次の各証言によれば、当時右養魚池の魚が斃死した事実のないことが認められる。しかし、当時境町用水に配水路の水が流入していなかつたことは前記(2) の〈4〉で認定したとおりであるから(もつとも境町用水取入口下流の堰を開放したからといつて右用水に水が流入しないとは限らないが、前記(2) の〈3〉で認定したように当時は配水路の水量が少なかつたから、右の堰を開放すれば右用水に配水路の水は流入しなかつたものと認められる)、右養魚池の魚が斃死したと否とは因果関係の有無の判断に影響を及ぼすものではない。

〈4〉 被告は、原告に鯉を飼養するにあたつての過失があつたと主張する。

しかしながら、右事実を認めるに足る証拠はなく、かえつて証人元川市之助の証言によれば、飼養方法の不適切によつて鯉が一時に斃死するということはほとんどないことが認められ、また原告本人尋問の結果(第三回)によれば、鯉は餌を食べているときの方がそうでないときより抵抗力が弱いが、当時本件養魚場の鯉は餌を切られていたことが認められる。

〈5〉 被告は、他のメツキ工場の廃液が本件養魚場に流入したと主張する。

しかしながら、証人橋本武次の証言(後記措信しない部分を除く)および原告本人尋問の結果(第二、三回)によれば、本件工場と本件養魚場との中間、佐波郡境町諏訪町七六六番地に東部電気株式会社のメツキ工場があるが、同工場の廃液は前記境町用水に放流され、同用水は早川の本件養魚場より約二〇〇メートル下流で早川に合流することが認められる(証人橋本武次の証言中右廃液が配水路に放流されている旨の供述は、それ自体あいまいであるし、右原告本人尋問の結果に照らして措信し難い)。従つて、右会社メツキ工場から排出される廃液は、本件養魚場の鯉の斃死の原因たり得るものではない。その他のメツキ工場の廃液が本件養魚場に流入したと認めるに足る証拠はない。

〈6〉 被告は、農薬が本件養魚場に流入したと主張する。

なるほど証人橋本武次の証言によれば、境町一帯の農家は農薬を多量に使用しており、それが配水路に流入する可能性のあることが認められるが、一方証人元川市之助の証言によれば、本件養魚場の鯉が農薬によつて一時に死亡することは考えにくく、従来農薬によつて鯉が斃死したのは七月上旬が多くて一〇月に斃死した例はなく、しかも昭和三六年までは農薬の使用量は多くなかつたことが認められる。

すなわち、右に認定した事実によれば、昭和三六年一〇月一日当時本件養魚場に農薬が流入した可能性は絶無とはいえないにしても同日の鯉斃死の原因となつたとは到底認めることができない。なお、当時本件養魚場で斃死した鯉の魚体からパラチオン等の農薬が検出されなかつたことは、前記〈1〉に認定したとおりである。

(4)  因果関係存否の判断

以上(2) 、(3) で認定した諸事実を総合的に考察すると、鯉斃死の加害原因物質は斃死魚自体からは確定できないが(前記(3) の〈1〉)、本件工場からは有毒なシアン化物を含む廃液が放出されており((2) の〈1〉)、右廃液は配水路に放流されて((2) の〈1〉)、配水路および早川を経て本件養魚場に到達し((2) の〈2〉ないし〈5〉)、当時本件養魚場の池水には多量の鯉を斃死せしめ得るだけの濃度のシアンイオンが含有されていた可能性が極めて高く((2) の〈6〉)、他の原因としては僅かに農薬が流入する可能性があるのみで((3) の〈6〉)、そのほかにはなく((3) の〈4〉、〈5〉)、しかも廃液の経路にのみ魚類の異常が認められ((2) の〈7〉、なお(3) の〈3〉)、廃液が本件養魚場に至る途中で配水路は水量の多い鴃の尾川と合流するが((3) の〈2〉)、鴃の尾川の水にシアンイオンは検出されない((2) の〈8〉)、ということになる。

右の各事実によれば、本件工場からの廃液の放出と昭和三六年一〇月一日の本件養魚場における鯉の斃死(この点は後期(三)の(1) )との間に因果関係が存在する相当程度の可能性があると認められ、これを覆えすに足る反証はない。従つて、当裁判所は前記(1) に述べたところに従い、右両者間に因果関係が存在するものと判断する。

(三)  原告の蒙つた損害

(1)  鯉の斃死

昭和三六年一〇月一日に本件養魚場において大量の鯉が斃死したことは、証人高橋清一の証言によつて同人がその二、三日後に本件養魚場を撮影した写真であると認められる甲第二二号証、証人田中栄司(第一回)、同森田朝記、同関口二良、同高橋清一、同須藤守平および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、これを認めるに十分である。

(2)  損害額

〈1〉 証人須藤守平、鑑定証人村島米雄の各証言および原告本人尋問の結果(第一および第三回)によれば、右の斃死した鯉があまりに多量であるために、原告はその重量を直接計量することはしなかつたものであるが、鯉は与える餌の種類、数量によつて増肉割合がほぼ一定しているので、種鯉のときの重量と与えた餌の種類、重量とから、右の斃死した鯉の重量の近似値を算出することが可能であることが認められる。

証人元川市之助の証言および原告本人尋問の結果(第三回)により真正に成立したものと認められる甲第二、第三号証、原告本人尋問の結果(第一および第三回)により真正に成立したものと認められる甲第四号証および右証言並びに右本人尋問の結果によれば、原告が昭和三六年三月一日から同年四月二二日までの間に本件養魚場に放つた鯉の重量は次のとおりであると認められる。

中羽鯉 七六〇・五  キログラム

新仔鯉 七七〇・三七五  〃

計 一、五三〇・八七五  〃  --〈A〉

原告本人尋問の結果(第一および第三回)により真正に成立したものと認められる甲第五号証の二、第六ないし第二一号証および右本人尋問の結果によれば、原告が右の鯉に与えた餌の種類、数量は次のとおりであると認められる。

干蛹 三、〇〇〇 キログラム  --〈B〉

魚粉 一、一〇〇   〃

麦類 二、九〇〇   〃

鑑定証人村島米雄の証言および同鑑定人の鑑定の結果によれば、餌の種類ごとの鯉の増肉量は餌の重量に対し次の割合となることが認められ、原告本人尋問の結果(第三回)中右認定に反する部分は措信しない。

干蛹 七〇ないし八〇パーセント --〈C〉

魚粉 五五〃六五   〃

麦類 四〇〃五〇   〃

原告本人尋問の結果(第一回)によれば、昭和三六年七月九日に本件養魚場において、二八〇キログラム(〈D〉)の鯉が斃死したことが認められる。

原告が昭和三六年八月一〇日に本件養魚場に飼養する鯉のうち七〇五キログラム(〈E〉)を元川養魚場に引き渡したことおよび同年一〇月一日の斃死後に一八四・八七五キログラム(〈F〉)の鯉が生き残つたことは原告の自認するところである。

そこで、前記の餌の数量と餌の種類ごとの増肉割合(前記数値の中間値を採用する)から鯉の増肉量を計算すると次のようになる(〈B〉×〈C〉)。

干蛹により 二、二五〇キログラム

魚粉〃     六六〇  〃

麦類〃   一、三〇五  〃

計     四、二一五  〃  --〈G〉

これに当初の鯉の重量を加えると次のとおりである(〈G〉+〈A〉)。

五、七四五・八七五 キログラム --〈H〉

ところで、前記のように、鯉の増肉量は与えた餌の数量の函数であつて(比例関係にある)、当初の鯉の重量との間に相関関係はない(もつとも鯉の数量に比して与えた餌の数量が過多である場合、すなわち鯉が餌を食べつくせない場合に右のようにいえないことは自明の理であるが、原告本人尋問の結果(第一および第三回)によれば、与えた餌の数量が過多ではなかつたことが窺われ、これに反する証拠はない)。従つて、前記の餌を継続的に与えていた途中である七月九日および八月一〇日に、前記のように鯉が斃死しあるいは本件養魚場外に移された場合には、残りの鯉の数量に対して餌の数量が過多である状態が生じなかつた限り、右斃死又は移転の時点如何にかかわらず、その斃死し又は移転された鯉の総重量(〈D〉、〈E〉)を前記の増肉後の総重量(〈H〉)から控除すれば、一〇月一日の斃死直前の本件養魚場における鯉の総重量が算出される(鑑定人村島米雄の鑑定の結果はこの点で見解を異にするが採用し難い)。その数値は次のとおりである(〈H〉-(〈D〉+〈E〉)。

四、七六〇・八七五キログラム  --〈I〉

右の総重量から、一〇月一日の斃死後に生き残つた鯉の総重量(〈F〉)を控除すれば、一〇月一日に斃死した鯉の総重量が次のとおり算出される(〈I〉-〈F〉)。

四、五七六キログラム      --〈J〉

なお、鑑定証人村島米雄の証言および同鑑定人の鑑定の結果によれば、養魚場に網を入れたりした場合鯉に刺戟を与えて体力が消耗しその重量が減ずる「目切れ」という現象があり、普通一パーセント程度の減量であることが認められるが、前記のように鯉の増肉割合は与えた餌の重量に対して一〇パーセントもの巾があり、前記の各計算もあくまで概算であるに過ぎないから、右「目切れ」はこれを無視してさしつかえないと考える。

前段に掲げた各証拠によれば、昭和三六年一〇月当時の群馬県下における鯉の取引値段は、一キログラム当り金二八〇円(〈K〉)であると認められ、証人元川市之助の証言および原告本人尋問の結果(第三回)中右認定に反する部分は措信しない。従つて、昭和三六年一〇月一日に本件養魚場で斃死した鯉には次のとおりの価値があつたこととなる(〈K〉×〈J〉)。

一、二八一、二八〇円

〈2〉 証人須藤守平の証言および原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告が昭和三六年一〇月一日に斃死した鯉を取片付けるために、須藤守平ら数人を雇い、遅くとも同月六日までに、その手間賃として少くとも金五、〇〇〇円を支払つたことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(四) よつて、昭和三六年一〇月一日の鯉斃死により原告の蒙つた損害につき、被告には民法七一七条第一項により原告に対して、右の各損害金計一、二八六、二八〇円および右内金一、二八一、二八〇円に対して損害発生の日である昭和三六年一〇月一日から、右内金五、〇〇〇円に対して損害発生の日である同月六日から、各支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務がある。

四  昭和三五年六月四日および同三六年七月九日の鯉斃死

昭和三六年一〇月一日の鯉斃死と本件工場からの廃液の放出との間の因果関係について、前記三の(二)において考察した諸事項を、標記両日の場合について検討すると次のようになる。

〈1〉  加害原因物質が何であるか確定すべき証拠は何もない。

〈2〉  被告先代が昭和三五年頃から、本件工場によつてメツキ加工業を営んでいたことは当事者間に争いがないから、標記両日の頃にも、本件工場からは有毒なシアン化物を含む廃液が放出されていたこと、およびそれが配水路に放流されていたことは、前記三の(二)(2) 〈1〉で認定した事実から、これを推認することができる。

〈3〉  標記両日の頃の、廃液放流地点から本件養魚場に至る配水路および早川の経路そのものが、昭和三六年一〇月一日の頃と異なつていたと窺わせる証拠は何もないから、右の点は右日時頃と同様であつたと推認できる。しかし、前記三の(二)(2) の〈3〉ないし〈5〉で認定したような、水量、流れの有無、各堰の開閉状況等については、何も証拠がない。

〈4〉  標記両日の頃に関係地点の水質検査をなしたと認めるに足る証拠はないから、水中のシアンイオン濃度は全く不明であり、当時本件養魚場の池水に多量の鯉を斃死せしめ得るだけの濃度のシアンイオンが含有されていた可能性がないとはいえないが、その可能性が強いとは到底いい得ない。

〈5〉  証人元川市之助の証言によれば、標記両日の頃に本件養魚場に農薬が流入した可能性は、昭和三六年一〇月一日の場合より強いものと認められる(前記三の(二)(3) 〈6〉参照)。

〈6〉  前記三の(二)(2) 〈7〉で認定したような、本件養魚場の上流水系における魚類の異常の有無に関する証拠は、標記両日については何もない。

以上検討したところによれば、標記両日の場合に、本件工場からの廃液放出と鯉の斃死との間に因果関係存在の蓋然性があるとは、到底認めることができない(前記の点以外に因果関係の存在を立証すべき証拠は何もない)。

そして因果関係が認められない以上は(本位的請求原因においても予備的請求原因においても、因果関係の存在が要件事実であるから)、標記両日の鯉の斃死についての原告の損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五  結論

よつて、原告の本訴請求は主文第一項記載の限度でこれを正当として認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき、同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 植村秀三 松村利教 近藤崇晴)

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